モーテンソンだより(その5: 5/31)

5月31日(火)

スケジュール表による今日の予定

  • 8:15 am / Meet Katie at Illini Tower to walk to the Mortenson Center
  • 8:30 - 9:34 am / Paperwork & Budget Information
  • 10:30 - 11:00 am / Welcome & Information
  • 11:00 - 12:00 pm / Program Overview & Schedule
  • 12:00 - 1:15 pm / Lunch at Illini Tower
  • 3:30 - 4:30 pm / Welcome to the University of Illinois Libraries

歓迎行事が終わり、今日から本格的に研修が始まった。
とはいっても、午前中は、この研修の大まかな予定と、その中でどれくらいの費用がかかるかといったことが説明されるなど、導入的な内容だった。また、モーテンソンセンターでの研修ののち、ALAの大会に行く参加者(自分もこれに該当する)については、飛行機の手配や申し込み(をまだしていない人もいた)について個別に相談する時間として費やされた。その間、これに関係ない人は、名刺を交換したり、WiFi環境で各自のアカウントを作り、フェイスブックで友達になるなどで時間を費やした(たぶん、ほとんど全員がフェイスブックのアカウントを持っていたと思う)。

午前のプログラムが早くに終わったので、農学図書館?(Funk ACES library)の見学に赴く。ここは研修中にレクチャーが何度も行われるところでもある。
きれいな図書館で、とりわけカーペットが美しい。日本ではもっと地味なものを使うだろうに。



利用者スペースにスキャナをつないだ利用者用PCがあるのが珍しく、何に使うのかをケイティに聞いてみた。資料のスキャンをするんだそうである。日本ではコピーだけなのに、法律の枠組みの違いでこうしたことが可能になるということか。


予定された時間はいろいろな要因でフレキシブルに変更されていく。あまり時間にこだわらないのが米国流なのだとか(バーバラさんの話)。


11時半前、昼食を摂りにタワーに戻る。1階のビュッフェスタイルの食堂で摂るのだが、今回は何よりも食べ過ぎに注意することを戒めとしているので、取りすぎないように注意した。なんだかんだで受講生みんなが集まってくる。

午後のプログラムは3時半からの予定だが(昼休みとの間がずいぶん空いている)、私はニューオーリンズへの飛行機の予約をすることになっており、2時にセンターに来るように言われていた。1時半頃タワーを出、センターに向かった。実はバーバラさんたちスタッフへの手土産を持参してきており、これをいつ渡そうかと昨日から思案していたのだ。タイミングがつかめず、昨日の夜メールで日本にいるモーテンソン研修に参加した人たちにもいつ渡したかを聞いたりしていたのである。勝手がよくわからないので、アドバイスは参考になった。
今日のこのタイミングがよいとふと思い立ち、予定された時刻より少し早く行くことで無事渡すことができた。どんなものがよいかは、これまで参加した人たちからアドバイスを受けていたのでそれを参考にした。しかし、自分で今回ぜひ贈りたいと思ったのが、東日本大震災の様子を伝える写真集であった。地震のことについては米国でもいろいろ話題になっていると聞いていたので、荷物としては嵩張るし重いのだけれど、2冊(もう1冊は別のところに贈ることにしている)を持参した。バーバラさんに渡したところ、貴重なものをと、感謝された。このときバーバラさんのオフィスに案内されたが、扇子など、日本の人から贈られたものが並んでいた。日本のものは大変美しいと言ってくれた。

時間がしばらく空いたので、モーテンソンセンターの入っているUndergraduate(学部生用)図書館を見て回り、思わず面白いものをたくさん見つけたので写真を撮りまくる。サインにはやはり感心させられるものが少なくなかった。
利用者の飲食物の持ち込みにはやはりこちらも悩まされているのか、卓上のサインを見つけた。こうしたものを自分のところでもやってみたいと考えていたので意を強くする。


Question Board(QB)と呼ばれている質問/回答には思わず笑ってしまった。真剣さの中にもユーモアがあるのである。

このQBには質問のランキングが乗っていた。
一例をあげるとこんなものがあった。

Did Elvis really Die? (3位)
What is the difference between the Apocalypse and Armageddon? (7位)

ただし質問したご本人は真剣そのものなのかもしれない。


さて、そうこうしているうちに2時になったが、スーザンから君の件は明日対応することになったと言われた。もとより急ぐものではないのでOKだった。

3時半からはイリノイ大学図書館のDeanとライブラリアンたちがイリノイ大学図書館のことについて紹介するプログラムが予定されていたので、バーバラさんの案内で会場である午前中見学した農業図書館の一室に移動した。しかし、時間になっても講師はやってこない。バーバラさんは電話で確認をするが、結局予定が行き違いになっていたのか、講師が来れないとのことで、このプログラムは流れてしまった。
(追記:予定が行き違いになったのではなく、急な用事が出来たらしかったとのことでした)

今日の公式行事はこれで終わりである。
時間をもてあました私を含め何人かは学生組合(Student Union、購買部のようなところ)で思い思いの飲み物を買って雑談を始めた。どうしてこのプログラムに参加したのかとか、結婚しているかとか何歳かとか、たわいもない話が続く。ブルガリアから来た女性が場をリードしてくれる。結局、自分が参加者のなかでもっとも年上であろうことがはっきりとした。"I am the oldest man." 正しい英語かわからないがそういうとみんな"Yes!"と笑ってくれた。

そうはいっても、参加者(繰り返すが私以外はすべて女性)は、20歳代後半の韓国からの女性が最も若く、40歳代が多かった。みなさんいろいろなバックグラウンドがあると思うのだが、ともかく、偶然、当地に集まったわけだ。

5時になり、そろそろということでタワーに戻った。

メールチェックをし、必要なリプライを行う。職場のメールも転送され、いくつかのメーリングリストにはプライベートアドレスを一時的に登録してもらってあったので、日本の動きはだいたい把握できている。

それがひと段落し、横になって本を読んでいたらだんだん眠くなってきたので昼寝(?)をする。

目が覚めてしばらくしたらドアをたたく音がする。出てみると、ビールがあるから出てこい、と誘われる。5階(参加者はみな5階に泊まっている)のラウンジでテレビを見ながら雑談である。いささかきつくはあるが、こうした場を共有することは大切なことなので、できる範囲で会話についていった。こうした積み重ねで聞き取りももっとできるようになるだろう。
やっていたテレビ番組は、America's get talentsという番組で、日本でいえば「欽ちゃんの仮装大賞」のようなものか。素人さんがステージでパフォーマンスをやってそれを審査員が評価するのだ。
米国の人はとりわけ、時に徹底的にファンキーになれる。そうしたところは見習いたいと思う。

9時過ぎ、眠くなったといって辞する。

(おまけ)
キャンパスを歩いているとリスがそこら中を走り回っている。
ゆったりと気持ちよさそうだ。ただし、病気を持っているかもしれないので、触るのはご法度らしい。

モーテンソンだより(その4: 5/30)

5月30日(月)

今日から研修の始まりだ。

スケジュール表による今日の予定

  • 9:00 - 11:00 am / Meeting at Illinois Tower for Shopping Trip
  • 11:30 - 12:00 pm / Transportation to Barbara Ford's home
  • 12:00 - 2:00 pm / Reception at Barbara Ford's House
  • 2:00 pm / Transpostation back to Illini Tower
  • 2:30 - 3:30 pm / Walking Tour of Campus


朝9時に宿舎1階のロビーに集合とされていたので、10分ほど前で降りていく(参加者は全員5階の部屋を割り当てられている)。
ロビーには2人の女性がいた。ひとりは昨晩、バストークンを部屋まで渡しに来てくれたスタッフだったのだが、それに気づかず、"Are You participants?"などと間抜けな質問をしてしまい、しばらく2人が参加者だと思い込む。実際にはアシスタントスタッフのジェイミーとケイティだった。しばらく会話を聞いたり様子を見たりしているうちにわかってきた。

9時前、参加者が続々とエレベータで降りてきた。"Hello", "Nice to meet you"と挨拶を交わす。
午前中は、スーパーに買い物に行くことになっている。迎えのバスがやってきてスーパーに向かった。"meijer"という大きなスーパーだ。

http://www.meijer.com/

食材のほか、食器、調理器具、衣類、簡単な家具などいろいろなものがワンフロアに並べられていた。日本ではどういった店が比較対象できるだろう?

ケイティに、調理器具や食器は買ったほうがよいか、と聞いた(つもり)。ともかく部屋に何にもないので、お湯さえ沸かせなかったからだ。買う必要があるということだったので、ケトル、フライパンとミルクパン(セット)、ナイフと小さなカッティングボード(これもセット)、食事がワンプレートで済むよう大きめの皿とスープカップ、コーヒードリッパー、グラスを買った。さらにダスターとして使うつもりでハンドタオル、それとトイレットペーパを3週間持つくらい買った。

食材はレギュラーコーヒー、袋に入った小さなバケット、チーズ、バター、各種缶詰、カップめん(といっても湯麺ではなく、お湯を切って食べるもの)、冷凍野菜などを買った。なるべく手間のかかるものは避けた。新鮮な野菜はほしいところだが、まあ3週間、なんとかなるだろう。

9時15分から1時間の時間を与えられていたがなかなかみんながそろわない。結局、11時前にみんながそろい、バスでいったん宿舎に戻る。

買ったものを部屋で簡単に整理してから、再びバスに乗り、バーバラの自宅に向かう。12時からレセプションが予定されている。
バーバラの自宅には、バーバラと副所長のスーザン、それとよくわからなかったが図書館のスタッフだろうか、男性と女性何人かがいて出迎えてくれた。
(追記:この中に図書館長のPaulaさんがいたことを後で知る)

レセプションといってもアルコールなし、立食でメキシコ料理というカジュアルなものである。一通りおなかを満たし、写真をとりあったりした後、思い思いに雑談が始まる。私は出迎えてくれた1人の男性やエジプトから来た女性と自己紹介のようなことを中心に話をした。男性は日本の大震災のことを心配してくれていた。また、副所長のスーザンはこれまで日本からモーテンソンセンターで研修を受けた人は、といったことを話題にした。何人かの名前を挙げると、「そうそう」といっていた。覚えていてくれているようだ。

自分の職場の場所を外国の人に伝える機会はこれまで何度となくあったが、埼玉県がどこにあるのかを伝えるにはけっこう難しい。というか、知らない人がほとんどなのだ。near Tokyo"、とりあえずこういうしかなく、越谷は電車で20分も行けば東京です、と言ってはみたが、感覚的に分かってもらえただろうか。

2時間の予定だったが、日曜日に到着、しかも夜だった人もいたようで、いささか疲れている様子も目立ってきた。切りのいいところでバーバラがそろそろ、といったので、辞することになった。

総じて参加者の英語は達者だと思った。野口さんからも、参加者の中では日本人がコミュニケーションでは最も苦労しているというこを聞いていた。さもありなんである。
自分の英語力は不安そのものなのだが、ともかくやるしかない。今回の派遣が決まった後、不十分ながらベルリッツで半年トレーニングを受けてある程度は聞けるようになったと思っている。また、偶然読んだ『ニホン英語は世界で通じる』という本は心の支えだ。
現実のコミュニケーションの場では、とっても聞き取れる英語と、ぜんぜんなにをいってるのかわからない英語というのが共存する。面白いことではある。

宿舎までバスで戻り、そのままキャンパスツアーに出かける。といっても、今回の研修に関係あるモーテンソンセンターとその周囲を歩き、主としてジェイミーが場所場所を説明してくれた。3時半までの予定だったが、3時には宿舎に戻ってきたので、では明日ということで今日の予定はすべて終了した。
気温はずいぶんと上がっていた。イリノイ入りした時の肌寒さがうそのようだ。

部屋に戻ったらどっと疲れが出た。暑くもあり、緊張もしていたのかもしれない。
3時間ほど昼寝をした。7時ころ起きだしたが外はまだ明るい。快晴である。

疲れたままでは何事にもよろしくない。
明日の午前中には「オフィシャルな」自己紹介をする時間が設定されている。とりあえずその原稿は作成してある。

今日は寝るまでゆっくりとしよう。

モーテンソンだより(その3: 5/29)

5月29日(日) 

朝5時ころ目が覚める。日の出は早く天気は良い。鳥の鳴き声も聞こえる。カントリーサイドならではだとホッとする。

朝食は昨日、中華料理店から持ち帰った残り。冷たいままではあったがおいしかった。

シャワーを浴びるなど身づくろいをし、宿舎でのPCのwifi設定を、フロントに聞きに行く。親切に教えてくれ、すぐに開通した。

それから必要なPC作業をしたり、連絡などをとりまくっていたら昼過ぎになってしまった。
少し街を歩こうと思っていたし、スーパーに行って最低限のものは買ってきたかったので、散歩がてら出かけてみた。
昨日は少し寒さを感じたが、今日は半そでのTシャツ1枚でも少し汗ばむくらいだった。
生来の方向音痴ゆえ、スーパーがあるという通りまで行き着くのにだいぶ時間がかかった。
まだ宿のレギュレーションがよくわからず、食事やトイレットペーパーの用意はだれが(どこが)するのか、いまは全然部屋の中にない食器はどう調達するのか(してもらえるのか)など、わからないことだらけだったので、ともかくミネラルウォーターとハンガー、ティッシュペーパー1箱、ラインマーカーセット、マウス(やはりあると便利)、それとワインを1本買う。約39ドル。

15時過ぎころ戻り、少し横になる。
高緯度のため日の入りが遅い。気がつけばもう18時となっていたが、おなかはすいていないので、水分だけ補給し、PCで大図研の仕事(出版物の編集)を片づけていた。

着信メールを見ていたら、帰ってから務めることになっている大学図書館職員長期研修の講義資料作成のために、筑波大学の方にお願いしていた昨年の資料のファイルが届いていた。これも忘れたUSBのなかに入っていたものだ。

ほか、メールのやり取りなどをしていたらあっというまに外は暗くなった(20時過ぎくらいか)。

センターのスタッフがやってきてバスのトークンをくれた。いつ使うことになるのだろう。
また、別のスタッフ(彼はたぶんタワー管理の学生スタッフなのだろう)、シャワーのお湯のことについて説明してくれた(どれくらい自分が理解できたかはあやしい。こういうときは繰り返し聞いて理解に努めないといけないのだけど)。

現在は29日(日)の夜9時。
ともかくあと12時間後、ロビーに集まり、プログラムがスタートする。

モーテンソンだより(その2: 5/28)

飛行機が欠航したのち、航空会社が用意したホテルには27日夜10時ころついた。食事は機内食を取って以来、なにも食べていないが、遅い時間であることもあり疲れていたので食べる気がしない。

PCをネットにつなぎ、必要な連絡をとる。
空港に迎えに来てくれることになっていたイリノイ大学図書館の野口さん、モーテンソンセンターのバーバラさん、私大図協国際図書館協力委員会委員長校である慶應義塾大学の長島さんへ、それぞれ現状を伝える。

シカゴ空港で欠航になってドタバタしているとき、こちらで使おうと思っていたデータを入れたUSBメモリを自宅に忘れてきたことに気がついた。悪い時には悪いことが重なる、と思いつつも、冷静に考えると、最低限必要なデータはネットからとったり、日本にいる同僚や関係者から送ってもらったり、メールのログに添付されていたファイルを探し出せばなんとかなる、と思い至った。
私は現在、職場メールもプライベートメールもすべてgmailに転送するようにしている。それが幸いした。震災後の計画停電の時、学内のシステムすべてが止まり、メールサーバも止まってしまった。そんなとき自分が持ち込んでノートPCをバッテリで動かし、gmailでのやりとりは問題なくすることができた。ニュースもユーストリームNHKのものを見ていた。クラウドコンピューティングのありがたさである。

そんなことで、そのメールのやりとりにも時間を要し、ベッドに横になったのは1時半頃だった。
翌日は9時55分発の便である。完全時差ボケの状態では万が一寝過ごすことになったら一大事である。携帯のアラームと旅行用目覚まし時計のアラームをセットした。しかし眠れない。時差ボケのせいもあるが、あとからあとからいろいろな想念が沸き起こる。震災のこと、原発のこと、親のこと、姪の進路のこと、などなど。震災以来、神経が過敏になっていたせいか夜中に目を覚ますことが重なっており、医者から睡眠導入剤を処方してもらっていたので、それを使うことも考えたが、寝過ごすことを恐れ、それもやめた。
けっきょくアラームをセットした6時まで一睡もできなかった。

結局6時前に起き出してホテルのレストランで朝食をとる。久々の食事。十分すぎる量を食べ、落ち着いた。
預けた荷物に歯ブラシなどを入れておいたので、歯を磨けないし、髭もそれない。やれやれである。
7時過ぎ、ホテルのシャトルバスで空港へ向かう。20分程度。

空港について、再びチェックイン(これは機械を使ってセルフ・チェックイン)と手荷物検査。いつもながら面倒である。鞄から電子機器をすべて出し(ノートPC,iPadiPod(2つ)、電子辞書、携帯電話)、さらに上着と靴を脱ぎ、ベルトも外す。そんな状態でチェックゲートへ進むのだが、日本の空港とちがって、両手を挙げた“ホールドアップ”の格好をさせられ、スクリーンのようなものの前に立たされる。体から金属反応がでないか調べているのだろう。ひっかかった。係員なにかもってないかと聞いてくる。何もない、と答えると、係員が、「これだ」と腕時計を指差した。"Oh, G-Chock, Good !"というような冗談をいい(彼らの多くは仕事中でもジョークを忘れないみたいだ、これは見習いたい)、通してくれた。

出発ゲートに向かう。H3ゲート。昨日来ているので、どこにあるかは見当がつく。
iPadでメールをチェックしたら、バーバラさんからメールが入っていた。空港まで迎えに来てくれるとのことだった。前日の野口さんとの連絡では空港からタクシーで大学の宿舎まで行くとよい、と教えてもらっていたが、所長自ら迎えに来てくれるのかと、恐縮した。
また、昨晩ホテルでFacebookに顔写真を入れる作業をし、友達リクエストを何人にもしておいたので、そのリプライがいくつもはいっていた。これはあとでチェック。

ゲートでうとうとしていたが、9時20分頃、ふと気になって、ゲートの掲示を見ていたら、出発ゲートがG14に変更になっていた。やれやれである。
G14は昨日欠航になったいわくつき(?)のゲートである。不吉な予感が多少頭をかすめる。
が、定刻に出発すべく、手続きは順調に行われた。
定刻に少し遅れてテイクオフ。出発待ち便が滑走路で列をなしていた。
天気は曇り。しかし雲を抜けると青空が広がっていた。

すぐに水平飛行に移り、ふと地上をみると、まっすぐな道路が十文字に走り、その両サイドには畑や池、木々が広がっていた。(白人の目から見れば)何もないところに道を作ったのだからまっすぐな道を作るのは当然か。

シャンペーンまでは30分のフライトだった。あっという間である。シカゴとシャンペーン、こんなに近いのにずいぶんと時間がかかった(計画は2年越し、シカゴまで来たものの欠航というアクシデントで1日到着が延びた)と、いささか感傷的になる。
空港はこじんまりとしており、緑に囲まれた中に立地していた。その規模は、日本でいうと山形空港(突然だが、使ったことがあるうちではということで)くらいかもしれない。
バゲージ・クレームに行こうとしたところで女性に声をかけられた。"Mr. Suzuki?" バーバラさんだった。以外に小柄な方なのに驚いた。名刺をいただく。荷物は?と聞かれたので、昨日のうちに届いているかもしれないといい、係員にクレーム・タグを見せたら奥から出してきてくれた。よかった。こうしたとき、荷物がまったく見当違いのところに運ばれる可能性は否定できない。今回のために使うあれこれがはいっているバッグである。行方不明になってしまっていたらたいへんなことになっていたかもしれない。
バーバラさんの車に荷物を積み込み、宿舎まで連れて行ってもらう。宿舎までは20分くらいだったか。ゆっくりと走り、いろいろ説明をしてくれる。ウォルマートが見えてきた。実物を見るのは初めてである。「24時間開いている。あなた、買い物はお好き?」「はい、好きです」「そう、私はそれほど好きではない」そんなやりとりが続いた。

イリノイは大学と農業の街だそうだ。大学の空港に近いところには農業学部?(agricultureを学ぶところ、という説明だったと思う)があった。土地はフラットで、まっすぐ。冬は寒い。「日本では北海道が似ていると思います」「そうそう」。「私は2度、日本に行ったことがある」とおっしゃっていた。そのうちの1回は1985年のIFLA東京大会だったそうだ。私はそのころ、まだ大学4年生だった。

ロースクール、学生宿舎、フットボール・スタジアム、バスケットボールのアリーナ、いずれも巨大な立派な施設である。

宿舎に着く。イリニタワー(Illini Tower)というところだ。




http://certified.housing.uiuc.edu/viewprop.cgi?thisid=9

フロント(学生スタッフのようだ)からカードキーを受け取る。バーバラさんは部屋まで案内してくれ、室内の設備を説明してくれる。
月曜日からのプログラムのことに話が移った。参加者は私を入れて10名とのことだ(こちらに来る前に問い合わせをした際(手土産をどれくらい買っていけばいいか見当をつけるため)15-6人と聞いていたのでびっくり。しかも男性は私一人であとはすべて女性だそうである。2度びっくり。エジプトから2名、ブルガリアから2名、中国から1名、韓国から2名、ウガンダから1名、イタリアから1名、そして日本から1名。アフリカから参加予定の人たちがこられなかったようだ(これは野口さんからお聞きした)。
バーバラさんからは月曜日の9時にタワーのロビーで、ということを確認して帰って行かれた。軽く荷物を整理し横になる。15時に野口さんとタワーのロビーで待ち合わせをしていたので、それまで昼寝のつもりだった。

しかし、昼過ぎからそれまでの天気が一転し、スコールのような雷雨が長時間続いた。
15時前にロビーに降りて行ったが、野口さんが来る気配はない。この雨だ、車でも大変だろうと考える。ロビーのテレビではちょうどサッカーのヨーロッパ・チャンピオンズ・リーグの決勝が放送されていた。これをライブで日本で見るには時差の関係でつらいのだが(明け方から放送される)、たまたまこっちにいることで楽に見ることができた。これはラッキー(バルサは凄すぎる!)。
16時過ぎ、野口さんがいらっしゃる。あとに予定が続いているということを聞いていたので短い時間で当座必要なことをお聞きしようと思っていたのだが、野口さんのその後の予定がキャンセルになってしまったこともあって、夕食をいっしょに食べることになった。

場所は野口さんの行きつけという中華料理屋(台湾系)。量はさすがにアメリカンサイズで大きかったが、おいしかった。食べきれない分を残すのは当たり前のことで、それを店からコンテナをもらって自宅に持って帰るのがアメリカでは当然のことらしい。初めて知った。日本でもこうしたことはないわけではないが、持ち帰りがあたかも当然のようには行われてはいない。「部屋にはマイクロウェーブ(電子レンジのこと)はあるわよね?」「たぶんあると思います」(が、実際には帰ってみたらないことに気がついた)。
食事中は米国、日本の図書館事情、私の関心のありか、モーテンソンにこれまで来た人の消息など、話はあちこちに飛んだ。
図書館事情についていずれ書くことになると思う。ここでは、今回の研修に関して知ったことを記しておく。

2009年度まで続いた7-8週間のアソシエートプログラムは、1年(昨年)をおいてリニューアルされ、今回の開催となった。期間は3週間である。ただしALAの大会に接続できる時期を選んだと野口さんから知らせを受けていた。期間だけを見れば短縮ということで、縮小されたのではないか、と考えていた。しかし、野口さんの話によると、モーテンソンセンターはアソシエートプログラム以外にもさまざまなプログラムを展開しており、そうした中でひとつのプログラムを長い期間続けるのが難しくなった、また前の7-8週間のプログラムも長く続いたので、再構成が必要と考えられた、その結果が今回の形となって実現したのだそうだ。3週間とは言え、目的をかなり絞って(フォーカスして)プログラムは構成され、中身はこれまでよりも濃くなっているのではないかということだった。宿舎もこれまでのところとはちがい、ずいぶんときれいなところなのだそうだ(このイリニ・タワーのこと。)確かにそう思う。一人で使えるし。

宿舎まで送ってもらう。20時前だっただろうか。
それから体を休めるため、横になって本を読み始める。シカゴからの便で読んでいた本は機中に忘れてきてしまっていた。まあ、それはあまり読み進められなさそうな文庫だったので、よしとした。
21時、今晩は睡眠導入剤を服用してベッドに入った。少し寒かったので、用意されていた毛布を重ねる。
本を読んでいたが、眠りはすぐにやってきた。

5月28日(土)がこうして過ぎた。
長い1日だった。

モーテンソンだより(その1: 5/27)

この前日記を書いたのは東日本大震災直後でした。それから国内ではいろいろなことがあり、多くの人が言ってますが、なんだかそれ以前と風景が一変してしまったような感じです。

さて、その間、自分も仕事に完全に足をとらわれ、まったく余裕のない日々を過ごしてきました。

そんなこんなしているうちに、2年越しで準備をしていたイリノイ大学モーテンソンセンターでの図書館員の研修に参加するため、米国までやってきました。

これはもともと私立大学図書館協会が2010年度の派遣希望者を公募していたときに応募し、その年度の秋に予定されていたプログラムに参加することになっていたのですが、センターの都合で中止され、私大図協の好意で、自分のパスを今年度に繰り越してくれたことによって実現したものです。

この間の顛末、エピソードはいろいろあるのですが、それはまたの機会にし、とりあえず次のようなスケジュールで滞在することにしています。

ほんとうは、今日(米国時間27日)のうちにシカゴ経由でシャンペーン入りするはずだったのですが、シカゴ空港からシャンペーン行きの便がトラブルで欠航してしまったため、急きょ、シカゴ滞在を余儀なくされました。
出発時刻が近付いてもなんのコールもないので変だなと思っていたのですが、いきなり空港係員が"Canceled"と叫んだときには、英語がたいしてできない自分には何が起こったかわけがわからず、またそこからどうしてよいものやら見当もつかずおろおろしてました。

結局、近くにあったセルフチェックインマシン(?)で、振り替え便を予約し(振り替えは電話しろといわれたけど通話でできるわけがない!)、それからアメリカン航空のサービスセンター(日本語が通じるところ)に問い合わせ、ホテルを取ってくれるのかを確認し(原因によるので空港で聞いてもらうしかないと言われた。結局航空会社の責任ということで押さえてもらった)、旅行保険会社に電話し、こうした場合は保険の対象となるのかを問い合わせたり、てんやわんやでした。

またシャンペーン空港には、いろいろ心配して連絡を取ってくださっていた方に迎えに来てもらうことになっていたのですが、その方とはメールでのやりとりしかしてこず、電話番号を知らなかったので、連絡をつけなくてはいけないのにこれもどうすれば…ということで、またおろおろ。

結局、空港でWifiの契約を急きょして、iPadでインターネットを使える状態にし、メールのログからアドレスを探し出しとりあえずメールで連絡し、ホテルについたところでなんとか連絡がつきました。ずいぶんと空港でお待ちいただいたのではないかと申し訳なく。
また、各社の連絡先もすべてこのときにサイトにアクセスして調べました。

(今日の教訓)
旅行先では何が起こるか分からない(当たり前か)。でもけっしてあわてない。手持ちのツールで何ができるかを冷静に考えること。


さて、これから、不定期に、自分の備忘録として米国での日記を書きたいと思います。

地震の混乱の中で

今日の地震には驚きました。横に大きく揺れ,普段の地震とはなんか違うなという感じがしてたら,やっぱりものすごいことになってしまっていた。
でも,職場では学生たちを含めけが人も出ていないようで,建物も被害はないようです。

しかし,電車が動かず家に帰れない。今夜は職場で夜を明かすことになりそうです。

ツイッターから次々と各地の情報が入ってきています。
震源に近い東北大学附属図書館で予想していたほどの被害が出ていないというのがうれしい。2月に講演会でお邪魔したばかりなので,人事とは思えない。

さて,明日はどうなるのだろう。余震もまだ懸念されるところだ。

忘れ物(^^::

3月に入りました。
私はコーヒー好きなのですが、今自宅で使っているコーヒーミルの調子がよくないので、買い換えようと思い、仕事が終わってから秋葉原のヨドバシにリサーチに出かけました。実際の購入はアマゾンでやるつもりで(せこいね)、現品確認をするため、それと街の明るい雰囲気を久々に感じたかったのですね。
みちすがら、なんとなくユニクロにいったら春っぽい商品があってそれをゲット、ヨドバシのなかではiPodnanoのアクセサリーがあったのでつい買ってしまいました。それだけならどうってことないのですが、帰りの電車の網棚に忘れてしまいました。
こんなことめったにないのですが、駅に問い合わせたところ、成田駅で発見できたというのでほっと一息。これはやはり日本で生活していたことに感謝。
宅配便で自宅に送ってくれるとのこと(当然着払い)。明日の朝駅に行って手続き。