ピッツバーグ: 6/28-29

6月28日(火)

朝3時にセットしておいたアラームで目を覚ました。
いつものことながら、ぜったいに寝過してはならないときは、携帯電話のアラームと旅行用目覚まし時計の2つをセットしておく。

チェックアウトし、30分ほどタクシーで移動すれば空港である。
事前に、出発が早朝でもタクシーはとりたてて予約をしなくても大丈夫か、と聞いたところ、大丈夫だということだったが、ほんとうにホテルの玄関の前で1台停まっていた。

領収書によると、先日送った荷物の代金は129ドルだった。かさや重さからするとシャンペーンから送ったものよりも大きくて重いような気がするが、そのときのUS Postalよりも安い。しかも箱はタダ(Postalは有料。そういえば日本のゆうパックも箱は有料だったような気がする)。さらにしかも、Postalのように細かな明細は書かなくてよい! ニューオーリンズ界隈はFedExが大きなシェアを占めているようだった。ググってみても、US Postalのオフィスは近くにはなかったし、道路ではFedExの車が頻繁に行き来していた。何より泊まったホテルがFedExしか扱ってないというのだ。
チェックアウトは簡単に済み、タクシーで空港に向かう。ドライバーは(例によって?)どこから来たのかと聞いてきたので、日本だと答えた。そうすると彼も日本に行ったことがあるという。滞在したという地名がたくさん出てきたが、それらに共通するのは軍関係施設があることだったので、"Army?"と尋ねたらそうだという回答が返ってきた。

20分ほどで空港に着いた。どこのエアラインかと聞かれた際に"United"だと答えておいたので、その前で降ろしてくれた。

4時10分ほど前。
すでにチェックイン待ちの人が数名いたが、あまり混んでいなかったことに安堵する。
事実、4時を10分ほど回ると一気に混んできた。それでもカウンターはなかなかあかない。
4時半になってカウンターが開いた。順番に手続きをする。セルフチェックインが原則だが、よくわからなかったので(予約番号がEチケットのどこに書かれているか見つけられなかった)、係員がパスポートを出せばやってやるというので渡した。彼はデータを読み込もうとしたが、どうも登録されていないようだった。Eチケットをよく見てみると、エアラインは"United"ではなくて"US Ariways"であることに気付いた。タクシーの中で聞かれて、なんとなく頭の文字が"U"だったことを記憶していたので、Unitedだといったことから間違いは始まっていた。

まったく何をやっているんだ、という感じである。

自分に呆れながら、あわててUS Airwaysのカウンターに急ぐ。だいぶ混みだしていたので、けっこうあわてていた。
が、幸いここは空いていた。ほどなくチェックインは終了した。

ニューオーリンズからワシントンを経由してピッツバーグへというルートである。シャンペーンからニューオーリンズへは、ぐんと南への移動だったが、今回はほぼ同じ距離を逆に移動してくるという感じだ。
最初の便は6時発、9時半ワシントン着となっていた。3時間半か、と思っていたら、実際ワシントンには8時半には着きそうだった。どういうことかとしばらく考えていたが、中部時間から東部時間に移っているのだということに気がついた。まったく、私には一つの国で時間帯が違うというのが、どうも感覚としてわからない。オハイオに行った時もそうだった。

ともかく飛行機は定刻に到着するということだった。

ワシントンからの便は10時発である。乗り換えに30分もなかった。実際、飛行機を降りて次の便が出るゲートに移動しているさなかに自分の名前がコールされているのが聞こえた。なんとか間に合い、便はこれも定刻でピッツバーグに着いた。

預けた荷物をとりにバゲージ・クレームに行く。乗り換え時間が短かったからもしや…という危惧があった。
しかし、同じ便でニューオーリンズからここまで来た人がいたことに機中で気づき、彼らが荷物をピックアップしていったので、自分のも大丈夫か…と思った。

しかし荷物は出てこなかった。

あーあ、である。

以前、こうしたケースは経験したことがあったので、特段あわてることはなかったが、なんで同じ便でありながら、別の人の荷物はあって、自分のがないのか、それがわからなかった。

クレームを受け付けるカウンターに行って、クレームタグを見せると、係員の女性はカウンター後ろの小部屋に入って行った。そして引っ張り出してきたのは私の荷物だった。

“ワオ!”である。
米国にひと月もいると、こうした声が自然に出てくるから不思議である。

荷物のタグには"HEAVY"と書かれたシールが貼られていた。重すぎたということだろう。しかし、それだけで、なんで別に保管されていたのか、今でもよくわからない。エクストラ・チャージを請求されたわけでもないし。


さて、今回のピッツバーグ訪問は、ピッツバーグ大学東アジア図書館で仕事をされているLibrarianであるグッド長橋さんのおかげで実現した。
グッドさんとは、ある小さな研究会でお会いしたのがつながりのきっかけだった。
今回の訪問の直接のきっかけは、昨年の図書館総合展でお会いした際、今回のことが具体化してきつつあったので、できればピッツバーグを訪問して図書館を見学させていただけないかと頼んだことによる。具体化したら連絡してほしいという回答をいただいていたので、その後メールで連絡を取り合い、今回の訪問の実現となった。
ちょっとしたきっかけでつながった関係が、こうしたことに結びついたことに、ある種の感慨と、図書館の世界の横のつながりのありがたさを思う。

実際グッドさんを訪ねるのは29日としていたので、到着した28日はホテルの周辺を散策することにした。
ピッツバーグ大学はたいへん有名な大学であることは知ってはいたものの、どんな大学なのか、具体的にイメージは持っていなかった。

じっさい、大学の敷地と町の仕切りはどこにあるのか、見当がつかない。

最初に目に入ったて来たのはCathedral of Learning(「学びの聖堂」と訳すらしい)。ものすごく高い、ゴシック様式の建物だ。

外観もすごいが、中に入ってみるとさらにその荘厳さに驚く。

ウィキペディアによると、これがメインの校舎であるとのこと。
学生の姿はまばらだったが、見学者が何人もいた。

そこから少し離れたところに"Carnegie Museum of Art + Natural History"なる博物館・美術館があったので、入ってみた。

展示品はともかく充実しており、博物館のほうは恐竜の骨、宝石などのほか、アフリカ芸術、アメリカ先住民の文化などを見ることができた。恐竜の歩く様子をコンピュータ・グラフィックスで見せるといった仕掛けもあった。
もっと早くこうした博物館があることを知っておけばと悔やんだ。閉館まで2時間足らずしかないところで気づいて入館したので、とても全部見ることができなかったからだ。それほどに大きい。

ピッツバーグ大学があるのはオークランドという地区であり、文教地区だそうだ。
学生が多く住み、落ち着いた街並みが続く。いいところだと思った。

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6月29日(水)

今日は10時にグッドさんをHillman Libraryに訪ねることになっていた。

約束の時間に図書館正面玄関へ行くと、グッドさんは出迎えてくれた。

この図書館で約2時間超えの見学。その後昼食をはさんで、日本でいうところの「保存書庫」が少し離れたところにあるとのことで、車で案内していただいた。

蔵書数は6,000,000冊。しかしながらそのうちの3分の1しかこのヒルマン図書館には置いていないとのこと。後のものは、午後に案内していただく保存書庫にある。
また、グッドさんがLibrarianとして仕事をしている「東アジア図書館」(ヒルマン図書館の中、2階の1フロア全体がそれにあたる)には蔵書が450,000冊あるが(おおむね中国、日本、韓国(いわゆるCJK)、資料数の割合は60%、35%、5%くらいだろうということだった)、そのうちヒルマン図書館には150,000冊しか置けないとのこと。それほどに保存スペースには苦慮されているようだった。
ちなみに、ご存知の方には蛇足となるが、米国の"Librarian"は、日本で一般に認識されている、資格を持って図書館で働いている人という意味での「司書」と実態は異なる。Librarianはそれぞれ一定範囲で物事を判断し決定する権限を有しており、個室が与えられるなど、図書館組織の中でもProfessionとして地位が高い。

ヒルマン図書館と保存書庫の間は車で図書や場合によってはスタッフの輸送が行われているそうで、それが1時間ごとというのに驚いた。

面白いこと、発見は数限りなくあったが、組織(人)と、ILLのこと(と、それに付随すること)を書いておきたい。

図書館のスタッフとしては、雇用期限なし(といっていいと思う。ただしテニュア(終身在職権)を得るまでは数年かかる)のフルタイム、10か月雇用のフルタイム(10か月連続で雇用し、2か月はオフ。再雇用は可能。労働時間はフルタイム)、そして学生アルバイト(労働時間はばらつきはあるが、平均すると週あたり10時間くらい)という構成だということ。
グッドさんのお話では、学生スタッフがいなければ図書館は回らないのではないかということだ。

私の職場もかつて貸出カウンターのスタッフとして学生を雇用していた時期があるが、試験期の出勤が難しくなるという問題を解決できず、それをやめてしまったということがあった(学生たちに図書館で働いてもらうこと自体はとてもよいことだと当時は職員の間で話していた)。その点をどうしているかとお聞きすると、利用部門の責任者に確認をしてくれた。それによると、試験期のみの雇用を行う(多少の賃金割増しを行う)、仕事中も差し支えがなければ勉強してよいということにしてある(これは試験期だけではないようだが)ということでやりくりをしており、何とかなっているということだった。また、学生はおおむね大学の近くに住んでいる、ということもそれを可能とする条件の一つになっているのかもしれない。

ILL部門。実はグッドさんのお連れ合いがここで仕事をされているということで、直接説明をしていただいた。

ILLはかなりシステム化(なんといえばよいか、システム的なナビゲーション、たとえばOPACを検索し、所蔵していなければ、"E-ZBorrow"というシステムにユーザーは誘導され、資料の依頼ができる)されているということだった。しかしながらシステムの移行期であることから不具合も起きているらしく、今後調整が必要だということだった。
電子的なILL(E-DDS)は"まったく"(と強調されていた)一般的、OCLCはコストが高くデータに不十分な部分があるなどの理由で"Rapid-ILL"というシステムが開発され稼働している(これは雑誌記事のみ対象)など、米国の興味深い事情をお聞きすることができた。私がこちらにいる間にNIIから明らかにされた、Webcatのサービス停止とCiNii-Booksへの移行もこちらでは話題となっているということだった。ただし、英語版のインターフェイスはありながらも、検索後の画面遷移の中では外国で使われることについての異言語への配慮が十分でないということを指摘されていた。英語での機関データの情報が不十分であるなど、日本にいては(私がこれに関する実務をしたことがないことも影響しているが)想像できない事情を伺うことができた。

日本と事情は同じだ、という点で面白かったのは、いわゆる図書館特有の用語(jargon)の問題だった。
こちらの利用者も図書館が当たり前に使う用語(Reference, ILL: Inter Library Loan etc)などの用語は説明をしなくてはわからないとのことで、この図書館では利用者向けの呼称に工夫を凝らしたという。Referenceを"Ask Librarian"など"Ask"という一般的な用語で利用者向けに案内していることについてはすでに日本にも伝わっていることだし、こちらでも訪問した先では大学図書館公共図書館を問わず、"Ask..."の呼称が使われているのを目にしていた。さらにこちらでは、かの"ILL"を"Requests from other libraries"としていたのである。

図書館のジャーゴンについてはずっと違和感と問題意識をもっていただけに(もっとも長年やっていると、それに染まってしまう自分をコントロールするのもなかなか難しくなるのだけど)、こうした対応・工夫をしている事例に出会えて我が意を得たりだった。

昼食をグッドさん、お連れ合い、私の三人で摂ったのち、保存書庫に向かった。

ここには、日本の研究機関から寄贈された蔵書があるということで、まずそれを見せていただいた。
(この経緯は、グッドさんご自身が『専門図書館』No246(2011.11)に書かれているのを、ホテルに帰ってから検索して見つけた。)

整理のために予算を要求し、目録作業をOCLCに外注しているということだった。

次に案内していただいたのは保存スペースである。

ほとんど「倉庫」である。そこの担当スタッフから、管理、サービスの仕方などの概要を聞いた。高いところにあるものはフォークリフトに工夫を凝らしたリフトで取りだすとのこと。
何より、目の前にそびえたつ棚の高さとその量は、すさまじいの一言だった。
その姿を見て、日本で導入が進んでいる自動書庫の発想は、この倉庫管理の発想だということで合点した。

グッドさんには、この後車で送ってもらい、図書館近くでお別れした。
お忙しい中、時間を割いていただき、ほんとうにありがとうございました。

さて、この後、夕方までに多少時間があったので、昨日訪れたカーネギー博物館と隣接する、Carnegie Library of Pittsburgh"に向かった。

米国公共図書館カーネギーのかかわりについてはよく知られていることなので、ここでは述べない。
カーネギーカーネギー図書館については、ウィキぺディア(日本語)にも比較的詳しい記述がある)
ただ、カーネギーが自身がこのピッツバーグペンシルバニア州を拠点としていたことはここにきて知った。

図書館の外観は石造りで威厳のあるものだった。しかし、中は適度な装飾が美しく、閲覧席にはクラシカルな電灯が措置されるなど、落ち着いた、温かい雰囲気を作り出していた。

 

人々は読書をしたり、調べ物をしたり、思い思いのことをしている。

図書館の正面入り口には、以下のことばが掲げられていた。

FREE TO THE PEOPLE

ウィキペディアによれば、カーネギーは、無条件に貧しいものへ与えることをよしとせず、努力する者を支援するために、富が使用されるよう寄付する者が責任を持つべきだとしていたとのことだ。
そこから(といってよいだろう)、図書館建設のための寄付の前提として、町が守らなくてはならないルールとして以下のことを課していたという。

  • 町は公共図書館の必要性を説明すること。
  • 図書館を建てるための土地を用意すること。
  • 毎年、図書館建設の費用の10%を運営費として用意すること。
  • 事業は無料であること。

そのうえで、寄付金は一度では支払わず、段階的に進行状況を見つつ支払われたとのことだ。

館内にあった図書館の概要には以下のようなことが書かれている。

The library provides critical services such as early learning programs for children and families, job search assistance, and computer and Internet access.

ここに書かれている「図書館が提供するもの」は、時とともに書き換えられてきたはずである。米国の図書館は変化を恐れず、社会の動向を敏感に察知し、使えるものは図書館のリソースとして積極的に取り込んできた(と私は理解しているし、それを今回の滞在である程度は確認できたと考えている)。
その背景にあるものについて、それは私がもっとも確認したかったことなのだが、ほんの少しだけだけれども、触れることができたような気がしている。さらに理解を深めるための材料はいろいろ確保することができた。帰ってから、時間はかかるだろうが、もう少し、理解を深めてみたい。


そんな思いを抱きつつ、この滞在記の最後を書いている。