田中一村のこと

奄美大島で知った印象深い人物として画家の田中一村(故人)を挙げておきたいと思います。

栃木県出身で,早くから画才を認められ,東京芸術学校に入るも,家庭の事情からかわずかな期間在籍しただけで退学,その後は千葉に姉(この姉は生涯にわたって一村を支える)とともに住み,絵の修業を続けた。

その後単身で奄美大島に移り,そこで「最後の1枚」を画くべく,大島紬の染色工として働いて生活費をため,たまると仕事を辞めて絵を描くことに時間を費やした。

私は,観光ガイドに載っていた「田中一村記念美術館」に観光コースだという気楽な気持ちで入ったのですが,入ってみてびっくり。
http://www.amamipark.com/isson/isson.html
その画風は,日本がというにはあまりにも大胆,明瞭なもので,どう表現しても伝えられない,ともかく見て,というくらいの作品なのです。

なんでこんな絵を描く画家が世に知られることがなかったのか。NHKで紹介されたのがきっかけで,多くの人が知ることになったとのことです。
評伝はいくつか出ていますが,私が読んだのは小学館文庫の『日本のゴーギャン 田中一村伝』です。


日本のゴーギャン 田中一村伝 (小学館文庫)

美術館で小さな画集を買いましたが,またじかにあの絵を見てみたい。

はやひと月・・・

サボっているうちに、早ひと月がたってしまいました。
あっという間に2月となり、今は入試期間でけっこう忙しいです。
正月の奄美大島旅行の記録をつけるつもりが、妙に気張ってしまったものだから、何にも書けずに来てしまいました。
ちょっとだけメモ程度に書いておくと、行ってよかったと思ったのは、なんといっても、島尾敏雄田中一村という二人の人物に出会ったことなのです。
島尾敏雄はたぶん、今ほとんど読まれない作家かもしれないと思うのですけど、名瀬の博物館で見た彼の略歴から、彼が魚雷艇特攻隊員の生き残りであることを知り、また小説だけでなく「琉球弧」といわれる南西諸島の文化に関する著作も多くあり、この点をトータルに読んでみたいと思ってしまったのでした。
帰ってきてから読んだのは、とりあえず『魚雷艇学生』(新潮文庫)だけですが、これは島尾が海軍に入隊し、訓練を受け、やがて「志願」という名の強制により魚雷艇特攻隊員となり、出撃地とされた奄美加計呂麻島に赴くところまでが描かれています。

奄美なう

さて、ブログ手始めに、新年の奄美旅行のことを書かねばと。
ブログを始めたのが発作的なら、奄美行きも発作的だった部分がないわけではないです。
前から行ってみたいところのひとつだったのだが、大好きなヨーロッパに行くか、あったかい南方に行くかで、年末ギリギリまでまよいました。
その過程で、ヨーロッパのあまりも寒い、大雪の風景が伝わってきたので、「これは南にいくしかない」と思い、有力候補であった奄美となった次第。

で、1月4日に羽田を出発、明日(9日)帰るという旅程で5泊6日という予定を組みました。宿泊先は全部同じ、完全定住型です。
ただ旅行したい、というのが最初にあったので、行程などはほとんど考えていませんでした。奄美に飛んで、宿を確保しておいて、あとは気分でその時まかせ、といった気楽な計画(か?)。

奄美大島は「大島」というだけあって,それなりに広いですね。
ガイドブックでは3泊4日でおおむね回れるとありました。ならば、こっちはもう少し余裕を持って、加計呂麻島も(行ければいいなというレベルで)加えてやれと思い、5泊としました。職場にはかすかに迷惑をかけたかもしれなませんけど。

5日から3日間で大島を回り、今日(8日)は加計呂麻島に日帰りで行ってきました。

旅行の計画、というのが、時にうっとおしくなります。
計画なし、気の向くまま、その日の朝にその日の計画を立てる、というのがあってもいいではないですか。
今回はそれをできるだけ実践しようと思ったわけです。

今日は最後の夜。初めて夜の街場に出て、黒糖焼酎をしこたま飲みました。
でも、それ以上に、出会いという意味で、かなりおもしろかった今回の旅行。

これはまた別に書きます。

ブログはじめました!

発作的にブログを始めました。
というのは半分正しく、半分は正しくなく… きっかけがなかなかなくて…

旅行先で、いささかヒマができたので… Twitterとbooklogを立てつづけに始めた勢いでブログも始めました。こういうの大事だと思います。

あせらず、長続きするブログにしたいと思います。

日々の雑記を中心に…